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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)7859号 判決 1990年2月26日

原告

又吉英次

ほか一名

被告

株式会社大通

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告又吉英次に対し、二五八八万九七九五円、原告山本早苗に対し、二四八八万九七九五円、及び右各金員に対する昭和六二年九月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和六二年九月四日午前一時五分ころ

(二) 場所 大阪市東住吉区住道矢田五丁目一番二号先路上(信号機による交通整理の行われている交差点、以下、「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 普通貨物自動車(登録番号、大阪一二く八〇一五号、以下、「加害車」という。)

右運転者 訴外村上興八(以下、「訴外村上」という。)

右所有者 被告

(四) 被害車両 原動機付自転車(登録番号、大阪市平ち五三〇四号、以下、「被害車」という。)

右運転者 又吉宗生(以下、「宗生」という。)

(五) 態様 訴外村上は、被告車を運転して、東から西に向かつて本件交差点に進入した際、折から本件交差点南西角から北に向けて発進した宗生運転の被外車と衝突し、同人をはね飛ばした(以下、「本件事故」という。)。

(六) 結果 宗生は本件事故による内臓破裂のため即死した。

2  責任原因

被告は、本件事故当時、加害車を所有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 宗生の損害

(1) 逸失利益

宗生は、本件事故当時、一五歳の健康な男子であつたから、本件事故に遭わなければ一八歳から六七歳までの四九年間就労可能で、その間少なくとも昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・全年齢男子労働者の平均年収である四二二万八一〇〇円を下らない収入を得ることができたはずであり、また、同人の生活費は収入の五割と考えられるので、右生活費を右収入額から控除し、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、宗生の死亡による逸失利益の死亡時の現価を算定すると三三一七万九五九一円となる。

(算式)

4,228,100×(1-0.5)×(18.4180-2.7232)=33,179,591

(2) 慰謝料

本件事故によりわずか一五歳で生涯を閉じなければならなかつた宗生の悲痛の念は察するに余りあり、同人の精神的苦痛に対する慰謝料として相当な額は、一五〇〇万円を下らない。

(二) 権利の承継

原告又吉英次(以下、「原告英次」という。)は宗生の父、原告山本早苗(以下、「原告早苗」という。)は宗生の母であり、宗生には他に相続人は存在しないから、原告らは、宗生の死亡により、同人の被告に対する損害賠償請求権を法定相続分に応じて各二分の一の割合で相続した。

(三) 原告ら固有の損害

(1) 葬儀費用

原告英次は、宗生の葬儀費用として一〇〇万円を支出した。

(2) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の提起生追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として各自一六〇万円を支払うことを約した。

よつて、被告に対し、原告英次は二五八八万九七九五円、原告早苗は二四八八万九七九五円及びこれらの金員に対する本件事故の日である昭和六二年九月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、訴外村上が、原告主張の日時に、被告所有の加害車を運転して、東から西に向かつて本件交差点に進入した際、本件交差点南西角より発進した宗生運転の被害車と衝突し、同日宗生が本件事故による受傷のために死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

2  同2のうち、被告が本件事故当時、加害車の所有者であり、運行供用者であつたことは認める。

3  同3はいずれも知らない。

三  抗弁(免責)

本件事故は、訴外村上が、加害車を運転し、青信号に従い法定最高速度の時速六〇キロメートルで本件交差点を東から西に向つて直進しようとして同交差点に進入したところ、運転免許を有しない宗生が、本件交差点の南北方向の信号が赤色であつたにもかかわらず、同交差点南西角のレストラン「すかいらーく」駐輪場の植込の隙間から被害車に乗つて無灯火で北または東に向かつて猛スピードで急発進し、あたかも加害車に飛び込むような形で突然本件交差点に進入して来たため、訴外村上においてこれを覚知し、回避措置をとる暇もなく、加害車の左前輪に被害車が衝突して発生したものであり、本件事故発生につき、訴外村上に過失はなく、本件事故は宗生の自殺行為とも言うべき一方的過失によつて発生したものであり、本件事故当時、加害車には構造上の欠陥または機能の障害はなかつたから、加害車の保有者である被告にも損害賠償責任はない。

四  抗弁に対する原告らの認否

抗弁事実は否認する。

訴外村上が加害車を運転して本件交差点に進入した時の東西方向の道路の対面信号は黄または赤(右折可を含む)であり、少なくとも直進は許されない状態であつたにもかかわらず、同人は、これを無視して、法定最高速度を越える時速八〇キロメートルで本件交差点に進入したものである。また、本件交差点の東西方向の道路は直線で、本件交差点付近は夜間でも明るくきわめて見通しのよいところであり、被害車は交差点内を一六・五メートル走行したのち加害車に衝突しているにもかかわらず、訴外村上は衝突まで被害車に気付いておらず、同人が事故当時前方注視を怠つていたことは明らかである。そして、訴外村上が信号に従つて本件交差点の手前で停止し、または、法定最高速度を遵守し、前方を注視して進行していれば、相当手前で被害車を発見し、ブレーキを掛けあるいは進路を変更しまたは警笛を吹鳴する等の措置を執ることによつて、本件事故を回避することは容易であつたものである。

従つて、訴外村上には、本件事故発生につき、信号無視、法定最高速度違反及び前方不注視の過失があつたというべきである。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実中、訴外村上が、昭和六二年九月四日午前一時五分ころ、被告所有の加害車を運転して、東から西に向かつて大阪市東住吉区住道矢田五丁目一番二号先所在の本件交差点に進入した際、本件交差点南西角より発進した宗生運転の被害車と衝突し、同日宗生が本件事故による受傷のために死亡するという本件事故が発生したこと、及び被告が本件事故当時加害車を所有しており、運行供用者責任を負つていたことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、被告は、自賠法三条但書による免責が認められない限り、同条本文に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

二  そこで、被告の免責の抗弁について判断するのに、成立に争いのない乙第一号証、甲第一、第二号証、平成元年六月一六日に本件交差点付近を撮影した写真であることに争いのない検甲第一、第二号証、同年八月一一日に本件交差点付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第一ないし第四号証、同第六号証、昭和六三年一一月一日に本件交差点付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第七号証、弁論の全趣旨により平成元年一一月一〇日に本件交差点付近を撮影した写真であると認められる検甲第三号証、証人伊藤恭一、同村上興、同白川剛(但し、後記信用しない部分を除く。)の各証言及び大阪地方検察庁に対する調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  本件交差点は、その付近においては、交差点より東側が幅員一二・三メートルで四車線(うち最も北側の一車線は右折専用)、西側が幅員九・二メートルで二車線の西行車線及び交差点より東側が幅員八・八メートルで三車線、西側が幅員九・五メートルの三車線(但し、西方では二車線となつている。)の東行車線が中央分離帯により区分されている、ほぼ直線のアスフアルト舗装の東西道路(以下、「東西道路」という。)と、交差点より北側が幅員九・六メートルで三車線、南側が幅員三・八メートルで一車線の南行車線及び交差点より北側が幅員七・五メートルで二車線、南側が幅員五・八メートルで二車線の北行車線よりなるアスフアルト舗装の南北道路(以下、「南北道路」という。)が交差する信号機の設置されている交差点であり、東西道路の両側には幅四・五メートルの歩道、南北道路の両側には、交差点の南側で幅三メートル、北側で四メートルの歩道が各設置され、交差点の四方にはそれぞれ横断歩道が設置されている(東西道路の東側の横断歩道から西側の横断歩道までの距離は四〇メートル前後である。)。

なお、本件交差点の北東側は一部畑になつているが、これを除くと、付近は市街地で、東西・南北両道路とも深夜でも一分間に一〇台余りの通行車両がある交通頻繁な道路であり、東西道路には速度規制はなく、また、本件交差点付近には照明設備があつて、夜間でも比較的明るい状況であつた。

2  本件交差点に設置されている信号機の本件事故発生当時の表示周期は、一周期が一三〇秒で、東西道路の車両用信号は、青六七秒、黄三秒、赤六〇秒(そのうち赤変直後の青矢印信号が一五秒、続く全赤が三秒)の順に表示するようになつており、南北道路の車両用信号は、青三二秒、黄三秒、赤九五秒(そのうち赤変直後の青矢印信号が四秒、続く全赤が三秒)の順に表示するようになつていた。

3  本件交差点に面した南西角地にはレストラン「すかいらーく」があり、同レストランの建物は敷地内北西寄りに建てられ、建物の東側は自転車・単車専用の駐輪場兼通路に、南側は乗用車等の四輪自動車の駐車場になつており、敷地と東西道路及び南北道路の各歩道との境界には、南側の駐車場寄りの部分を除き、高さ三〇ないし四〇センチメートルの煉瓦積みで区画され、樹木の高さを合わせると自転車・単車等の車高とほぼ同程度の高さの植込みがあるが、右植込みは、右駐輪場の北側の交差点の中央部よりやや西寄りに面した部分でとぎれて自転車・単車等の出入口になつていた。そして、本件事故当時、右出入口には車止めの柵等は設置されていなかつたので、単車に乗つたまま右駐輪場から交差点南西角の歩道上へ出ることができ、右歩道と交差点内車道との境には、交差点中央部から交差点西側横断歩道までの間に柵が設置されているが、交差点中央部との境には柵等は存在しないので、右歩道から更に交差点中央部の車道へ単車に乗つたまま進入することも可能であつた。

4  訴外村上は、加害車を運転し、東西道路を西進して本件交差点の東側の交差点を青信号に従つて通過し、右道路西行車線の南から二番目の車線を時速六〇キロメートル前後の速度で走行しながら、本件交差点の東側の横断歩道の手前約二〇メートルの地点に差しかかつたとき、東西道路の車両用信号機が青色を表示しているのを確認したので、そのままの速度で本件交差点を通過しようとして同交差点に進入したところ、交差点中央部辺りで大きな衝撃を感じたので、とつさに急ブレーキを掛けたがハンドルが左に取られ、積荷の関係もあつて急制動による転倒の危険を感じたので、すぐにブレーキを緩め、徐々に速度を落としながら交差点西側の横断歩道から七〇メートル程進行したのち、東西道路の南側の道路端に加害車を停止させ、停止後、被害車が加害車の左前輪付近に食い込んでいるのに気がついた。なお、訴外村上は、右衝撃を感じるまで被害車に気付かなかつたが、加害車が本件交差点に進入する際には、加害車の前方近くを先行している車両はなかつた。

5  タクシー運転手である訴外伊藤恭一は、本件事故当時、タクシーに乗務中で、南北道路北行車線の交差点南側停止線付近で南北道路の車両用信号の赤色表示に従つて停止していたが、衝突音を聞いて交差点を見たところ、単車を左前輪に巻き込んだ加害車が交差点西側の横断歩道の少し手前辺りを進行しているのを認め、反射的に東西道路の東行車線の信号を確認したところ、同信号は黄色を表示しており、続いて対面する南北道路北行車線の信号を確認したところ、同信号は依然赤色を表示していた。

6  宗生は、本件事故当時、一五歳で何らの運転免許を有しなかつたにもかかわらず、被害車(原動機付自転車)を運転して、前記レストランの駐輪場の北側の出入口を出、本件交差点の南西角の歩道を経て本件交差点中央付近に進入して、本件事故に遭遇したものであるが、被害車は本件事故当時無灯火であつた。

7  事故後、本件交差点の西側の横断歩道のやや手前辺りから同横断歩道の中央付近にかけて、右側三・五メートル、左側四・七メートルの加害車のスリツプ痕が残つており、宗生は右横断歩道より三メートル程西よりの西行車線内の中央分離帯寄りに転倒していた。

8  加害車は、四トン積みの普通貨物自動車で、重量約二・八トンの空調機器を積載しており、事故後、前記のとおり被害車を左前輪に巻き込んでいたほか、フロントパネルにはエンブレムの左側辺りから左前角にかけての凹損と前バンパーの曲損が認められたが、前記のとおりハンドルを取られたのは、被害車が左前輪に食い込んだためであつて、本件事故当時、加害車の操向装置及び制動装置には異常はなかつた。

なお、証人白川剛は、宗生との関係については、同人は暴走族の後輩みたいなものだと述べ、原告英次との関係についても、同人が留守の場合の連絡先を知つていて、同人の外出先に電話をして本件事故の連絡をしたと述べるなど、宗生及び原告英次とかなり親しく、宗生と行動を共にする可能性があることをもうかがわせるような供述をするとともに、被害車の状態につき、レストラン「すかいらーく」の駐輪場の植込みの間の出入口から出て、歩車道の境に設置された柵の左側から無灯火で本件交差点に侵入し、北進しようとしていた旨、遠くにいたのでは確認し難いような点についてまで明瞭かつ詳細に供述し、他方、加害車については、加害車が赤信号を無視して時速八〇キロメートルで本件交差点に進入した旨述べ、その根拠として、本件交差点の五キロメートル位手前から加害車の四〇ないし五〇メートル後方を自動車を運転して時速八〇キロメートルの速度で追従してきたが、両車の車間距離は縮まらず、加害車が本件交差点の約一〇メートル手前の地点に差しかかつたとき、信号機の表示が黄色から赤色に変わつたにもかかわらず、加害車はそのままの速度で交差点に進入し、自車が交差点の手前七、八メートルに達したとき、本件事故を目撃し、交差点の手前で信号に従つて停止したと述べている。しかし、右供述のとおり同証人運転の自動車が時速八〇キロメートルで進行してきて交差点の手前で停止したのであれば、交差点のかなり手前で制動を開始しており、両車の車間距離は大きく離れるはずであるのに、右目撃地点及び前認定の本件交差点の東西の横断歩道の距離からすると、本件事故当時の両車の車間距離は逆に縮つているか、そうでないとしてもほとんど変わつていないという結果となり、この点を指摘されると、交差点の手前七、八メートルか一五メートル位の地点で急ブレーキを掛けて停止したと更に矛盾した供述をしている(時速八〇キロメートルの自動車の停止距離は、乾燥したアスフアルト舗装道路で空走距離を考慮に入れなくても三五メートル位であるとされている。)ことなどの点を考慮すると、右供述中加害車の状況及び目撃時の自己の状況について述べている部分は、到底信用することができない。

また、前掲乙第一号証中の現場見取図には、右衝突地点から加害車のスリツプ痕の開始点までの距離が一八ないし一九メートル程度であるような記載(計測値の記載はないが、他の計測値との比較及び同図面の縮尺からこのように認められる。)があり、右距離は、右スリツプ痕が加害車の前輪によるものとすると、同車の空走距離とほぼ等しく、後輪のものとすると、同車の空走距離はより長かつたことになるから、運転者が危険に直面したらブレーキをかけようと用意しているときの反応時間〇・六ないし〇・八秒を前提とすると、計算上加害車は法定速度六〇キロメートルをかなり超越していたことになるが、右現場見取図上の衝突地点は、その記載内容からすると、擦過痕等の客観的な痕跡から確定したものではなく、訴外村上の指示のみによるものであると認められるところ、同人は、前認定のとおり、衝撃を感じてはじめて事故に気付き、距離感の基準となる被害車の状況等は認めていないのであるから、確たる認識に基づいて右指示をしたとは考え難いうえ、前認定のとおり、被害車が本件交差点の中央部に進入し、前記白川剛の証言のとおり北進しようとしていたとすると、右衝突地点はきわめて不自然な位置であるといわざるを得ず、更に、前記のような用意をしていないときの運転者の反応時間は、脇見等をしていなくても一秒前後であるとされていること等を考慮すると、前記現場見取図の記載は前記認定の妨げとはなり得ず、他に前記認定と左右するに足りる証拠はない。

以上認定の各事実によれば、本件事故は、信号に従つて本件交差点を直進しようとしていた加害車の直前で、無灯火の被害車を運転して路外から直接本件交差点の中央部分に進入するという宗生の一方的過失によつて発生したものというべきである。

なお、前認定の事実によれば、加害車が本件交差点に進入する時点で、加害車の速度が若干法定速度六〇キロメートルを超過していたり、東西方向の信号が黄色を表示していた可能性もないではないが、証人伊藤恭一の証言によれば、同証人が衝撃音で本件事故に気付いたときは、加害車は本件交差点の西側の横断歩道の少し手前を走行しており、その直後に東西道路の信号を確認すると黄色を表示していたことが認められ、この事実に前認定の加害車の速度(時速六〇キロメートルの場合の秒速は約一六・六メートル)、本件交差点の東西の横断歩道間の距離(約四〇メートル)、東西道路の車両用信号の黄色の表示時間(三秒)を考え合わせると、右伊藤証人が確認したのが黄信号の最終時点であつたとしても、信号が黄色に変つた時点には、加害車は東側の横断歩道の手前一〇メートル前後の地点を走行していたことになるので、停止線で安全に停止することができない状態にあつたということができ、従つて、訴外村上に信号無視の過失があつたということはできない。また、加害車の若干の法定速度超過の可能性の点についても、前認定の本件事故の態様からすれば、これがなければ、事故の回避可能性や死亡の結果が生じなかつた可能性があるといえないことは明らかであるから、仮に右過失があつたとしても、本件事故との間に因果関係は存しないというべきである。

次に、訴外村上が、衝突まで被害車の存在に全く気付いていないことは、前認定のとおりであり、原告らはこの点から訴外村上に前方不注視の過失があつたと主張する。しかし、信号機によつて交通整理の行われている交差点を通行する車両は、互いにその信号に従わなければならないのであるから、このような交差点を直進する車両の運転者は、特別の事情のない限り、信号を無視して交差点内に進入してくる車両のあり得ることまでも予想して、左右道路及び交差点内の全域を注視し、その安全を確認すべき注意義務までを負うものではないというべきところ、被害車が無灯火で植込みの間の出入口を出て、交差点南西角の歩道上から直接交差点中央部に進入し、加害車の左前部に衝突したという前認定の事故の態様からすると、訴外村上が被害車に気付いていないというだけで、本件の具体的状況下で要求される程度の前方注視義務を怠つた過失があると断定することはできず、仮に右注視義務を尽すことによつて、衝突前に被害車を発見することが可能であつたとしても、前認定の加害車の速度及び前記運転者の通常の反応時間からすれば、空走距離内での衝突は避けられず、事故の回避の可能性がなく、衝撃の程度も異ならなかつたことは明らかというべきであるから、右過失があつたとしても、本件事故との間に因果関係はないというべきである。

そして、前認定の各事実及び弁論の全趣旨によれば、加害車には本件事故の発生と関連のある構造上の欠陥または機能の障害はなかつたものと認められる。

従つて、被告の免責主張には理由があり、被告には、本件事故につき自賠法三条に基づく損害賠償責任はない。

三  以上の次第で、原告らの本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 本多俊雄 中村元弥)

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